2009年8月7日金曜日

ポルトガル語inブラジル


ポルトガルと新大陸との出会いは1500年のことで、スペインのそれと比べると穏やかなものだったよう。植民地化が始まりポルトガル語が新大陸に流入してくるが、一般レベルで話されるようになった言葉は先住民たちの言語:トゥピナンバ語を単純化したリングア・ジェラルだった。最盛期には人口の4分の3が話す言語になっていたそう。でも時代が進むにつれ、ブラジルは資源の豊かな国だったため、ポルトガル本国からの働きかけ、移民が増大するにつけポルトガル語の重要性が増し、1785年にポルトガル語使用の義務化「インディオ法」が本国の大臣ポンバル公爵により発令される。これによりブラジルの学校でも先住民たちにポルトガル語が教えられるようになった。

1822年ブラジルは独立を遂げることになるが、そこでは言語としての独立意識のスタート地点でもあったそうだ。1826年には医師免許状は「ブラジル語」で書かなければならないという法案の提案、翌27年には「国語文法」教育を義務付ける法律が承認されている。時代は移り20世紀前半における言語状態を見てみても相変わらずブラジルの国語の名称を「ポルトガル語」ではなく「ブラジル語」にするか否かの議論を行っている。結論としては「ポルトガル語」のままになったようだが、「ポルトガル語」と「ブラジル語」の違いを模索するところに自分たちのアイデンティティーのそれも見て取れる。

とまとめてみましたが、自分の意識だと「ブラジルのポルトガル語」でした。今までスペイン語も勉強してきましたが、そこでも「メキシコのスペイン語」、「アルゼンチンのスペイン語」という本国からの視線での認識を自分の中で持っていたけれど本当はどうなんだろう。言葉の立ち位置についてもう少し視点を変えて考えてみたいと思います。


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